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2009年07月12日

5.7.5は伝わりやすい

先日、木曾の馬籠と妻籠に行ってきました。

中山道の昔の景観を残し、日本情緒があふれる素敵な場所でした。


岐阜県中津川市の馬籠には島崎藤村の生家があり、藤村記念館があります。


「椰子の実」の童謡、「夜明け前」という小説も有名ですが、この作品の
一節を知っている方も多いのではないでしょうか?


「まだあげ初めし前髪の

林檎のもとに見えしとき

前にさしたる花櫛の

花ある君と思ひけり」


この作品の名前は…




そう、

『初恋』という作品です。

「5,7,5」のリズムで書かれていると詠みやすく、日本的だと思う
のですが、いかがでしょう?


あなたは俳句や詩歌など作られることがありますか?


死に関することならば、『辞世の句』というのがありますよね。

「旅に病み 夢は枯野を かけ廻る」は、松尾芭蕉。

「おもしろき こともなき世を おもしろく」は高杉晋作。


以前、生きているうちに自分の辞世の句を考えることで死生観
を育むというワークショップをやったことがあります。

その中で、大変含蓄に富む作品がありました。

こんな作品です。



【死ぬ、いずれみな、死ぬ】



「ん? これが?」とお思いになりましたか?

よく見るとこれ、5,7,5でなく、2,5,2なんですよね。



2,5,2



「2,5,2…」




『2,5,2! 生存者あり!』(ちょっち古っ!笑)


※「252(ニーゴー二)」とは東京消防庁の無線通話における略号のひとつで
要救助者や生存者があることを隊員や本部との無線通信時に用いられます。


実はなんと「死ぬ、いずれみな、死ぬ」けど、『今、生存しているんだよ!』
というアンチテーゼが含まれていたのです。


う〜ん。

説明がなくて実際伝わらなかったらどうするんだろうか?


そこで、思わず心の中でつぶやいてしまいました。


「でもやはり、5,7,5が、よきリズム」と…(笑)



おあとがよろしいようで…。
  

Posted by 有限会社リニア・コーポレーション at 09:00Comments(0)日記・その他

2009年07月06日

プロを感じさせる仕事とは?

先日、とある異業種勉強会に参加してきた時、プロを感じさせるお仕事の話
がありました。お裾分けができればと思いますのでお付き合いください。



飛行機に乗っていたら小学生くらいの子供がダダをこねていたそうです。
周りのお客さんは迷惑そうに親御さんをチラリとにらみます。

わがままが高じて泣き出すまでになるということは、親御さんにはもうどう
することもできません。周りの大人が注意した方がよいのでしょうか?

その時、キャビンアテンダント(旧名?スチュワーデス)さん登場です。

膝を折り曲げ、目線を下げてから一言、


「どうしたの?」とやさしく

子供に直接話しかけたのでした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

お母さんが取り繕おうとするのですが、軽く受け流し、あくまでも子供と
直接向かい合うこと約10分。落ち着いた子供はその後も静かでした。


「親御様、席を変えましょうか?」

「お子さんの具合が悪いのですか?」

と親に聞くのかと思ったら、ご本人ときちんと向かい合うことで解決すると
いうプロの対応を見ることができたというお話。




反対に、空港では、車椅子に乗ったおばあちゃんの話。

きちんと対応できる意識があるにもかかわらず、とある空港職員は自分と
目線が近い車椅子を押す介助者(おばあちゃんとほとんど関係のないボラン
ティアさん)に「○○した方がいいですか?」「○○できますか?」などと
聞いていたとのこと。

おばあちゃんは、「なぜ本人である私に訊いてくれないのかしら?」と嘆い
ていたようです。


プロ、専門家が直接ご本人に尋ねるということ…。


終末期の場合でも、ご本人の本心(期待・不安など)に向かい合う人が自覚
を高くすれば、あの世への良いフライトをサポートできるのだと思います。

  

Posted by 有限会社リニア・コーポレーション at 15:34Comments(0)

2009年05月18日

師匠からの教え(その3)

文京区で5月から毎月行う終末期や死生観についての勉強会、【テルミヌス
勉強会】の名付け親でもある私の師匠(64歳女性)のしょう子さん(仮名)
と医療ボランティアについて話していました。

都内の某病院で師匠に実践で医療ボランティアを数年間教えていただいた
のですが、毎回師匠の動きを見ているだけで学ぶことがあります。

例えば、採血後に落ちたのであろう脱脂綿や絆創膏の拾い方。

そのまま手で拾うと感染する恐れがあるので、セロテープやガムテープの
接着部分をうまく使って拾って捨てるのです。

医療関係や経験がある方なら当たり前なことかもしれませんが、当時の私は
師匠がさりげなくテープを使って拾っているところを見て、
「あ!なるほど。」と思ったものです。


さて、そんな師匠の今回のお話は、「一粒の飴玉」で医療ボランティアの意
味を話してくださったので、皆さんと共有できたらと思います。


久しぶりに外来受付のボランティアに入り、外来のカード受付機の取扱い
を初来院の80歳過ぎの患者さんに説明し終えたしょう子さん。

「ありがとうね。」とお礼に一粒の飴玉をいただいたそうです。



「たとえ飴玉一つでも、病院側に「患者さんからお礼としてこれをいただ
きました。」と報告しているのよ。青木さん、何でだかわかる?」

「え? 何か責任や取り決めがあるからですか?」

「まぁ、それもあるわ。でも、病院側にいただいたことをすぐ伝えておく
と、もっといいことがあるのよ。」としょう子さんが実際の体験談を続けました。




80歳の患者さんが診察を終えて処方箋をもらって、帰る途中、
「○○さま、先ほどはうちのボランティアがお菓子をいただいたとのこと。
お気遣い本当にありがとうございます。」と病院側の現場代表がお礼を
していました。

今ではすっかりその病院の常連さんになった80歳の患者さんは、
「あの時は、ビックリしたわよ。私があなたにお礼をしたら、病院の
お偉いさんからお礼を言われたんだもの。ここ、ホントに良い病院ね。」
と、しょう子さんに話してくれたそうです。

患者さんがボランティアに「ありがとう」と言って、すぐボランティ
アは「ありがとう」を病院に仲介します。そして、病院側から「あり
がとう」が患者さんに戻っていくという『ありがとうの循環』…。

「青木さん、医療ボランティアって、魔法の言葉である『ありがとう』
を循環させて、さらに、患者さんと病院との【橋渡し】をするのが役割
なのだと思うのよ。リエゾンっていうのかしらね…。」


一粒の飴玉でも患者さんと病院を橋渡しができるんですよね。


ボランティアに限らず、職場や人間関係でも当てはめやすいお話だと
思い、共有させていただきました。

いつもお読みいただきありがとうございます。  

Posted by 有限会社リニア・コーポレーション at 18:17Comments(0)

2009年03月25日

師匠からの教え(その2)

先日、医療ボランティアをしている私の師匠(仮名:しょう子さん63歳)と会ってきました。

実践からの体験談(そのままではなく、もちろんプライバシーなどに配慮し話を編集して話してくれます)にいつも身を乗り出して聞いてしまいます。


今回はこんなケースをみなさんと共有できたらと思っています。



「この病気はもう治らないのでしょ?」

患者さんから質問されると緊張する内容でもしょう子さんは顔にも出さずに思考で対処をしようとします。

病気に関して不安なら本来、お医者さんや看護師さんに聞く方が良いのですが、自分に言い聞かせているのか、病気が不安なのかわからない場合があるわけですから、まずは沈黙を作るそうです。

実際は、自分の症状をもっと詳しく知りたいと思っている方が多いらしく、次の具体的な一歩として、忙しくしているお医者さんをなんとか捕まえて、一緒に話を聞くという場を作ると、その後だいぶ不安がなくなり(または踏ん切りがつき)落ち着かれるというケースがあるようです。


しかし、百戦錬磨のしょう子さんもこの質問が来たときは血圧が上がると言っていました。


「私はもう死ぬのだろうか?」


真顔でしかも、目をじっと見据えて患者さんは聞いてくるので、
さすがのしょう子さんも思わず病室の天井を逃げるように見つめたのでありました。



しょう子さんは上を向きながら、こうつぶやきます。

「あ〜ぁ、どうして天にはこんなにいっぱい神仏がいて、目の前にいる素敵な人に光を照らしてくれないのだろうか…」


「・・・・」


しんみりさせ過ぎないように、しょう子さんはすかさず、

「そうだわ!
私たちで光を照らしてくれるような神仏を見つけましょうよ!」


神仏がご先祖様であってもかまいません。自分を支えてくれる何かを探す方向に話を進めたのでした。


「そうね、こんなにいっぱい神仏がいるのだから私を救ってくれる何かをこちらから探してみるのはいいわね!」

(この会話になるまで信頼関係を作るのがまた難しいんですけどね)


「じゃあ、次お会いするまでにお互い探しておきましょう!」


と、その日はお別れしたそうです。


そして、数日後、病棟の廊下でその患者さんとお会いした際に、
(あら、どうしよう。探していなかったわ)としょう子さんは気まずさを顔には出さずに自分のほうから、
「○○さん、見つかった?」と明るく聞くのでした。


「まだなのよ。あなたの方では見つけてくれたの?」と聞かれ、ギクリ!


とっさに

「いや、まだ見つからないのよ〜、
【ネットで検索】もしているんだけどね…」
と、ニコリ。


いつもは静かな病棟の廊下に二人の笑い声が響きました。


看護師さんに「お静かに!」とたしなめられ、教室の廊下で学校の先生に怒られる少女のように二人は苦笑いしながら病室に入ったのでした。




『上(天)に逃げるのよ』と師匠は言っていました。

さらに『ネットで検索』というユーモアも
今回もしっかり学ばせていただきました。感謝です。  

Posted by 有限会社リニア・コーポレーション at 10:18Comments(0)日記・その他

2009年03月18日

困難に対して、続けるか諦めるか

先日の日曜日は陶芸教室に行ってきました。


一輪挿しを作っていますが、やがて自分の骨壷を作ろうと思っています。


粘土のこね方やロクロの使い方など私のような初心者にはまったくうまくいかず、「難しいな〜」と実感していると先生が、

「適度に難しいから続けちゃうんですよね。」と一言。

簡単すぎたらすぐ飽きるし、試行錯誤もできない。次への課題や探究心が芸術性や感受性を高めてくれるから続けようと考える人もいれば、一方で、
「私にはセンスがないんだわ。あまりにうまくいかないからつまらない。」と、辞めてしまう人もいます。(スポーツや競技の練習でも同じですよね)

あなたでしたらどちらの傾向が多いでしょうか?

またどのような状況だと続け、どのような状況だと諦める傾向があります?


『困難』に対して、「続けること」と「諦めること」


どちらが良いとか賢いとか言うのではありません。

どの基準で自分自身が「難しい」と感じ、
どの基準で自分自身が「さらに続けよう」「もう諦めよう」
と決めているのかを実感することが実は死生観を育む上で重要なのでは?
と陶芸教室で片づけをしながら考えていたのでした。

例えば、あるガン患者さんはお医者さんやご家族も「もう無理だろう」と思っているにも関わらず投薬や手術の可能性を諦めません。

ある患者さんは緩和ケアだけはしてもらってあとはもう諦めています。


さて、
あなたの終末期はどのような状態になっていそうだと思いますか?


その時のご家族の状況や医療体制など外部的環境も影響しますが、
余命生活の意思をあなたが終末期で問われた時、今考えている基準の延長上にその時の基準があるのだとしたら…。


死生観を育むとは「その時になってみないとわからないよ」というのを見越した上で、未来を思い悩まない程度に自分の終末期を考え、さらに今の自分に当てはめて考えていくという作業が必要なのだと思います。  

Posted by 有限会社リニア・コーポレーション at 18:50Comments(0)死生観について

2009年03月06日

同じことを伝えるということ

2月15日(日)にホスピタリティー☆プラネット主催でアルフォンス・デーケン先生による「死生観を育む」というテーマのセミナーを受けてきました。

死生学という言葉を日本に普及したのが上智大学の名誉教授、哲学博士で神父さんでもあるデーケンさんなのです。

ユーモアあふれる講演に今回は約200名近く参加者があり、関心の高さを会場の熱気からもはかることができました。

「それはデーケンもでけん(できない)」とお得意のギャグが出ると会場は笑った後にホッとしているんですよ。ファンの方が多いのだと思います。

私は4年前に一度、四谷でデーケンさんの講演を聴いたことがあるのですが今回の内容はほぼ一緒。おそらくこの日に来られている方も以前同じ内容を聞かれているのではないかと聞いたところある方が、

「毎回、ほぼ同じ講演ですよ。それが良いんじゃないですか!デーケン先生の講演は安心して聴ける『古典落語』のようなものです。誰かが同じことを同じように伝えなければ伝わっていかないのだと思います。」

とおっしゃっていて、納得しました。


ドイツから日本に来られて50年を迎えたデーケンさんは死のタブーがはびこっている日本で死生学として死のことを同じスタイルでずっと伝え続けているから一つの文化として受け入れられていったのだと思います。


いわばすでに伝統芸能のような存在なのかもしれません。


『伝える人がいて、伝わりやすくし、同じことを伝え続けるということ』

この基盤作りがあるからこそ浸透し、ファンが増えていくのだと思います。

説明責任とは伝えやすさばかりを追求することではなく、同じことを伝え続ける覚悟が重要なのだと実感しました。


あなたは何を伝え続ける人になりますか?(なっていますか?)


あなたが伝え続けている未来に更なる幸せの共有がありますように…。


それでは、また。  

Posted by 有限会社リニア・コーポレーション at 14:37Comments(0)日記・その他

2009年01月27日

CSRもとい、BSRとは?

企業が信頼を得るためには社会(消費者や市民など)に対して『説明責任』が必要だという考え方・企業存続のあり方を「企業の社会的責任(CSR:Corporate Social Responsibility)」と言われています。

社会貢献や企業倫理などの観点からもCSRが叫ばれていますが、今回は「説明責任」という観点から考えてみようと思います。


先日、友人のお坊さん(仮にBさんとします)とランチをしてきました。
「BSR? ああ、坊さんのBじゃないんだ?BUDDHISTのBか…」

僧侶が果たさなければならない葬儀やお布施などに対する説明責任について「寺ネット・サンガ」代表の中下氏が『BSR(仏教徒の社会的責任)』として使っているのを先日初めて聞きました。

そこで良い機会なのでBさんにも御意見を聞いてみることにしたのでした。


※今回、実際はCSRのお話ではなくてBSRのお話になります!



●オペラを知らなくてもオペラに行ったら、何だか泣けてきた…。


身内がなく葬儀もなく、火葬場でようやくいとこのご夫婦が立ち会うことになったという現場にBさんが呼ばれお経を読むことに…。

いとこ夫婦は明らかに早く帰りたい様子。

そこでBさん「よっしゃ、ここが勝負どころだな」と、読経というパフォーマンス?にいつも以上力を注ぎます。



するとどうでしょう?

いとこの奥さんの方からすすり泣きが聞こえてきたのです。

自分の最期と重ねたのか?旦那さんも泣けてきたようで「儀式」が人の感情を動かした瞬間があったのでした。


「オペラを初めて観て、言葉もわからないのに泣けてくるのに似ているのでは?」とBさんに言われて妙に納得しました。

「葬儀における説明責任って言うのでいちいち儀式の意味を説明するお坊さんがいるけどあれは違うと思うよ。だって、オペラの俳優が講演時間内に、いちいち舞台の説明や歴史を説明しないし、観客も期待していないもん。」
とBさんは「アクターとMCは別にしたほうがいい」との持論を展開。

わからなくても感動することでさらにわかろうとするという現象は、
仏教に触れ仏教についてもっと知りたくなるという効果があるようです。

なるほど、オペラで例えられるとわかりやすいものですね。
(歌舞伎でもいいですけど…)



完成されたパフォーマンスがあってはじめて役割が光ってくる。そして、何を言うかよりも誰がどのタイミングで伝えるのかの方が重要になる。


お坊さんの社会的責任とは、まず最高のパフォーマンスでお経が読めることという前提があって、ご遺族との信頼がさらに深まっていく…。
ご遺族が悲しんでいる「この場」で「この瞬間」にお坊さんでしか伝えられない言動があるのだとか。


あるご家族の49日の納骨で呼ばれたBさん。

お墓の前でご家族も一段落して並んでいる時にその瞬間があらわれました。

ご家族が癒されたようだと言ってくれた言葉。



「・・・・」


ここは企業秘密(笑)というか、許可をとっていないので書けませんが、

「同じ言葉でも家族の誰かが言ってもただの慰めにしかならない言葉でも、お坊さんが『人知を超えたもの(しょうがないことなのだみたいなこと)』を伝えられれば、それこそがお坊さんの役割・説明責任であり、BSRなのではないでしょうか?」とのこと。


全てをわかりやすくお布施の価格を透明化しろとかいう説明責任ではなく、最高のパフォーマンスで儀式の重要さを魅せ、ご家族が望むような話を心の棚に多く用意し、ご家族が望んでいるであろうタイミングで伝えることからまず説明責任が活きてくるのではないか?
と、語ってくださり、勉強になりました。


●BSRの覚え方


お坊さんの目の前で牛肉のランチステーキを頼んでしまったことを、
私がバツの悪そうにしていたところ、

「私はBSR(仏教徒の社会的責任)についてはこれからも精進して
いくけど、青木さんはBSE(狂牛病)には気をつけてね!」と
まさにこの場所、この瞬間を狙ったかのように説明責任?(ユーモア)
を果たしてくださいました。(笑)


「(B)坊さんの(S)しゃべりはやはり、(R)立派でなければ…」
と、これからはBSRを覚えようと思った一日でした。(笑)


それでは、また!  

Posted by 有限会社リニア・コーポレーション at 16:15Comments(0)日記・その他

2009年01月19日

師匠からの教え

先日、私の師匠に会ってきました。元女性経営者として一線で活躍していたのですが、60を過ぎ、今は医療ボランティアとして緩和ケアに携わっている明るく元気な方です。(ここでは仮に師匠の「しょう子さん」としましょう)

その師匠の日常で起こるボランティア活動のひとコマをシェアしたいと思います。(もちろんご本人の許可を取って書かせていただいています)


その日は朝から寒い日でした。

しょう子さんは病院の玄関で掃き掃除をしていると、病棟の看護師さんから「ケア病棟の患者さんが転院を拒絶してヒステリーになって手が負えないから、しょう子さん助けてくれないかしら?」とのこと。

その病院でしょう子さんを知らない人のほうが少なく、看護師さんも頼りにしているので、今回は「病院から病院への転院」を拒否して「一度お家に帰りたい」「なぜ、帰してくれないの?」と混乱?している患者さんを任せることにしたのでした。


しょう子さんが病室に行くと、すでに看護部長が怖い顔をして患者さんと対峙していたそうです。

(あちゃ〜、あんな怖い顔をして〜)と思った次の時には、
(看護部長が怖い顔をしている方が私の役割が冴えるってものよ!)と頭をフルに回転させます。


患者さんの前でいつものように落ち着いた優しい声で自己紹介するしょう子さん。

事情を御本人の目の前で聞いた後、おもむろに両手を差出しました。


「○○さん、ちょっと私の手の平を触ってみてくださいな。」


手の出し方もストップと拒絶するような指が上になる手の出し方ではなく、手の平を上にして水をすくうような出し方にするのがポイントとのこと。


そして、
患者さんがしょう子さんの手に触った途端…、



「あら、なんて冷たい手をしているの?」

と患者さんが慌てて引っ込めるほど、しょう子さんの手は外気に当てられて冷たかったのでした。

間髪いれずに、
「私の手、外にいたからこんなに冷たいの…。
○○さんがもしご自分で家に帰ったら、この寒さでしょう…。
みんな心配しちゃうのよ」

「… …」

「ここで病院間転院が拒否され、お家に無理に帰したことで○○さんがもし体調を壊されたら、今後、お家に帰りたいという○○さんの希望をさらに聞いてあげられなくなるかもしれないわ。暖かくなっていく季節に、外出もできなくなるなんて、なんだかもったいないじゃない」

「うん、そうね。おとなしくしてお任せするわ」

「ありがとう、あとは看護部長さんに私もお任せするわね」

怖い顔をしていた看護部長もホッとしたのか、いつもの良い顔に戻っていたのだとか…。


別にマニュアルがあるわけではありません。

ただ、しょう子さんの経験と知識の棚から自然に出てきた行動だったようです。そして話の最後に一言私に、

「青木さん、別にテクニックではないけど『冷たい手』など
【五感】にうったえるのは効果的なのよ」
~~~~~~~~
とまた今回も貴重な教えをいただきました。


長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。  

Posted by 有限会社リニア・コーポレーション at 15:41Comments(0)日記・その他

2009年01月06日

新しい家族

先日、うちに新しい家族が増えました。


え?

「赤ちゃんか?」

ですって?


いやいや、

新しい【子猫】が一匹来てくれて、今、家に愛猫が2匹となりました。

前からいる猫はソマリという種類で、名前は「ツイてるちゃん♪」にして3年一緒に暮らしていますが、「ツイてる!」と呼ぶとニャーと応え、また「ツイてる」と呼んで…と繰り返しているうちに、自分まで本当に運がツイてきたような気がするから不思議なものです。


簡単な自己暗示のようですね。(笑)

そして、今回ブリーダーさんから譲り受けたエキゾチックという種類の猫の名前をどうしようかと考えて、また自己暗示系の名前に決まりました。


その名前とは…、




新しくきた可愛い子猫の名前。
先輩猫の「ツイてるちゃん」にちなんで、


イケてるちゃん♪」に決定。(笑)


「イケてる!」と呼んでいるうちに本当に私がイケてる男性になれるかもと淡い期待&妄想が入っております(笑)


もし、3匹目の子猫がくるようなら、

「ノッてるちゃん♪」にしようかと今から考えています。


う〜ん、なんて平和な妄想なんだろうか…。  

Posted by 有限会社リニア・コーポレーション at 12:05Comments(1)日記・その他

2008年12月10日

死のIQと死のEQ

最近、
うちの甥っ子(幼稚園生)に会うと「なんで?」を連発して聞いてきます。

ちょうどそんな時期なのかもしれませんね。

「なんで?」と聞いておいて、私が応えるともう興味がなかったかのように次の「なんで?」を聞いてきます(笑)

(ええ?そんなところにも「なんで?」とツッこむの!?)
とか
(う〜ん、その「なんで?」には大人としてどう応えたらいいだろうか?)
(同じ目線で応えるべきか…)、
(やはり笑ってごまかすのはやめよう)
など考えていたら知恵熱で頭から湯気が出そうでした。(笑)

「なんで、人を殺しちゃいけないの?(自殺しちゃいけないの?など)」
の質問が例えばあったとしたら
「そんなのは、理屈じゃないんだよ」と応えていいと思います。


でも、子供は「なんで?」と、とりあえず知りたがるんです。


理屈を話し始めたら、甥っ子に理屈で負けてしまう可能性のある私は(笑)
どこまで理屈で応え、どこまで理屈じゃないということを説得できるかを
試されているような気がしました。


いや、もしかしたら、子供が欲しているのは「理屈」なんかじゃないのかもしれません。


子供が欲しているのは、実は…


大人という社会が発する

「理屈」と「理屈じゃないんだ」の【境目】(もしくは【範囲】)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
を子供は知りたいのではないかと思うのです。



その【境目や範囲(倫理観など)】をしっかり持つこと、そして伝えることが社会や大人の役割なのだと思います。



たまに、極たまにですが、
「青木さん、死なんて理屈じゃないんだよ」と会話を拒絶?されることがあります。理屈じゃないからといって思考停止にしてしまうようなのです。

一方で、
「理屈じゃないとわかっていながら(告知などで)死を強く意識した途端、死について知りたいと思い始めた」というご意見も聞くのです。


ある時には理屈が理屈じゃないままで、またある時には、理屈じゃないとわかっているのに理屈を欲する…。

つまり、その人なりの『理屈と理屈じゃないの【境目や範囲】』がある訳でその境目や範囲が私の甥っ子のようにまだ未開発だったり、時と場合によって変わったりするから物事を受け止めるのに差が出てくるのだと思います。


そこで、死の受け止めの場合はどうでしょう?

境目や範囲を確認する以前の問題で、死にまつわる境目や範囲を構成する『情報』が少なく、また境目や範囲の作り方が煩雑かつ困難な現状なのだと思うのです。

同時に、「なんで?」と甥っ子のように聴けない、聴く場所や人(例えば教会・お坊さん)がわからない、聴き方も難しいといった状態があるから境目や範囲を構成できる死に関する情報(=自分の死についての納得)を得ることが難しいのではないでしょうか?


死には理屈と理屈じゃない境目と範囲を作るための仕組みが少ないのです。


その一つの仕組みとして、メルマガで謳っています「死のIQと死
のEQ」
http://archive.mag2.com/0000166409/index.html
がお役に立てればと思っています。


例えば、
「細胞の死や死の三大兆候(瞳孔拡散、心拍停止、呼吸停止)?
ああ、それは死に関する理屈だよね。」(←これは死のIQ)

「死は終わりの時でなくて別れの時だと理屈じゃなく理解できたよ」
(↑これは死のEQ)

というように、
あなた自身が死に関する理屈と理屈じゃないの境目や範囲を模索することで、あなたなりの死への納得につながるキッカケになればと思っています。


それでは、また  

Posted by 有限会社リニア・コーポレーション at 16:38Comments(0)死生観について

2008年11月24日

不老不死の生物

不老不死という定義はちょっとおいて置いて、
不老不死の生物として以前、『ガン細胞』を挙げましたが、
他にもいたんですよね。


ご存知ですか?

先月、朝日新聞にも紹介されていました

不老不死の海洋生物…、


『ベニクラゲ』
http://www.asahi.com/showbiz/music/SEB200810250009.html

水族館に観に来られる高齢者の方は、
「いいわね〜。うらやましい。」と人気になっているのだとか。




「もし死ぬとしたら何をするか」という質問はありきたりですので、

「もし、不老不死だったら何を続けていたいか?」と質問にすると
その人の役割や天命(天職)があらわれることがあるような気がします。
(欲の深さもあらわれますが…笑)


「死ぬ前にしたいこと」ではない別の視点として、
「不老不死の生だとしたら何をしていたいか?」
であなたが大切に思っていること・人生観
(≒死生観)が垣間見られることでしょう。




あなたが、不老不死だったら何を続けていますでしょうか?  

Posted by 有限会社リニア・コーポレーション at 13:19Comments(0)死生観について

2008年10月25日

自己表現がしたい欲求

死ぬ前の欲求の一つに、『自己表現がしたい』というのがあります。

自己表現とは「自分はここにいますよ」ということを自他共に確認する行為なのかもしれません。


音楽や芸術、スポーツなどで表現する人はわかりやすいですが、例えば、「私の若い頃は…」と何度も同じ話をするという行為も自己表現であり、感謝や謝罪も自己表現といえます。



自己表現がしたい欲求がかなわないと問題になるケースがあるのです。

例えば、秋葉原の無差別殺人にしても、孤独死の問題にしても、他者との『つながり』が希薄だから起こったのだと仮定すると、「自己表現しても無視される」、「自己表現がかなわない環境にいる」ということが問題になっていくのだと思います。

「表現する」という動詞は相手や対象があってこそ成立するのではないでしょうか?いや、もしかしたら『自己完結できる自己表現』というものがあるのでしょうか?…


私があなたに教えていただきたいことは、
「相手の反応を期待しないで、自分を表現したいという欲求を満足させた!ということがありえるのか?」ということです。

自己完結する自己表現というのは満足や心の平安を得られるのでしょうか?



誰かに評価されるのは怖いけど、誰かに認められると嬉しいという無意識的な感情があるとしたら、やはり、自己表現というのは他人や自分以外の対象(ペットなども含む)あってのモノなのではないか?と思うのです。


「恥ずかしくってできない自己表現」

「ご自分で過小評価されている自己表現」


自己表現をしたいという欲求は実に奥深く、満足していただくためにというビジネスからの視点に課題がついてまわります。

しかし、もし何らかの形や仕組みで自己表現がスムーズに行われ、満足につながるとしたら、私には笑顔が多い風景がイメージできるのです。


なぜならそこには『共感』『共有』というキーワードが生まれるのですから。




自己の存在と意味は他者によって与えられる。


                 R.D.レイン イギリスの精神科医  

Posted by 有限会社リニア・コーポレーション at 11:29Comments(1)死生観について

2008年10月16日

ホームページを手作りしています。

新しいホームページ(以下HP)を先週から手作りしています。
http://endingplanner.com/

今まで使っていたサーバーのプランがシステムの変更で更新できなくなったため、自分でホームページビルダーを使って作ることにしたのです。

9月24日以降は更新できず消えていく運命な訳でして、余命が近づくにつれ
「早く新しいHPを構築しなければ!」「何かやり残したことはないか?」
と必死になりました。

当たり前かもしれませんが、デッドライン(締め切り日)があると必死になるんですよね。


学生の頃は、試験日というデッドラインが近づくと一夜漬けも含めて本当に必死で頭に詰め込んでいたものです。



デッドラインが近づくと『必死』になる。


そう、

『必ず死ぬ』ことを意識するんですよね。
~~~~~~~~~~~~~~~~


今回、HPの使用期限が近づいたとき、どうしよう、何ができるかなど不安になりましたが、不安に思って何もしないより、必死になることで期日までに新しいHPを作れて自信につながりました。


でも、この不安も必死さもお金を払ってある程度解消できるという選択肢があることをサービス業として謳っていけたらと思います。


なぜなら、

色々な理由で皆が皆、自分でHPを作れるわけではないのですから…。





※ホームページ「 http://endingplanner.com/ 」
の感想がございましたらご連絡ください♪  

Posted by 有限会社リニア・コーポレーション at 11:38Comments(0)日記・その他

2008年09月09日

有限会社から株式会社へ

9月1日をもちまして、弊社は
有限会社から株式会社に商号変更致しました。

昨日、法務局に行き登記簿謄本と印鑑証明を
もらってきました。

その後、銀行へ行き変更手続きを行い、
さらに、税務署に行き変更手続きを行い、
最後に、都税事務所に行って手続きを無事
全部終えることができました。

夕方からは友人がお祝いしてくれ、
久し振りにしたたかに飲みました。

これからさらに頑張っていきたいと
思っています。


あ!封筒も(株)に変えなければ…。

なんだかんだ言ってお金かかりますね。

それでは、また〜。  

Posted by 有限会社リニア・コーポレーション at 15:14Comments(0)日記・その他

2008年08月19日

久し振りの富士登山

先日、約20年ぶりに富士登山に行ってきました。

中学生の時に一合目から登り、高山病に苦しみながらもご来光を拝めた経験があります。今回は5合目(河口湖口)から夜に登り始めたのでした。


高山病になったらどうしよう。

あれ?

気持ち悪くなってきた…。


おお、もう動けん。



結局、頂上を見上げながらも本八合目でご来光を待つことにしました。

手がしびれてきて危ないと判断したからです。

体力的にはまだまだいけるのですが、高山病には敵いませんでした。
(ちなみに、下山後も筋肉痛になることもなくすぐ回復しました)


約3,300メートルから見るご来光も最高でした。


目的って何だったっけ?

混雑した頂上でご来光をみることが全てではなく、このありがたい朝日に思わず頭を下げて感謝を述べてしまう感動を味わうことが目的だったのだと、日が昇っていくに従って、登れなかった悔しさや影が消えていきました。


若い時だったら頂上にこだわっていたことでしょう。

でも、何だか納得というか、すっかり満足していました。


納得させている自分、納得した自分、どちらも弱い存在にみえるのですが、今の自分に自信があるから納得できたのでは?と考えたら、弱いようで強い存在になったのかもしれません。  

Posted by 有限会社リニア・コーポレーション at 15:43Comments(0)日記・その他

2008年06月24日

ドリームゲートのブログ記事から社長に会うことできました。

先日、このブログで【火葬船】について書きましたら
火葬船に携わる方々からカキコをいただきました。
(4月10日の記事です。)

そこで、返レスで「社長にお会いしたいです」と
書いたところ、先週6月19日(木)に火葬船の発案者
であり推進者でもある日本テンプルヴァン株式会社
の井上社長と面談することができました。

ドリームゲートでは数多く夢を叶えさせていただいて
おりますが、またもやお世話になりました。

やはり、志を持ち続け、発信しつづけることで次に
つながることがあるんですよね。


いやはや、井上社長とはお会いできてよかった…。


そしてなにより、思いは伝えないと伝わらないという
当たり前のことを実感した次第です。  

Posted by 有限会社リニア・コーポレーション at 14:53Comments(0)日記・その他

2008年06月23日

死刑制度に賛成?反対?

先日、死刑制度について友人と話し合う機会がありました。

最近、凶悪犯罪が増えて死刑存廃論争が活発になっているようです。


「青木は、死刑制度に賛成?反対?」

この質問には正解ってあるのでしょうかね?

死刑制度については被害者の身内からの視点や、犯罪者からの視点、
国の法治システムから視点や、人を殺めるという根本的な視点など
色々な視点があるために、正解が出づらいものです。


死刑制度があると助かる・安心とか、ないと自分にとって
都合が良いなど、日常生活との接点や実体験が乏しいから
答えづらいのだと思います。


あなたは死刑制度に賛成でしょうか?反対ですか?



さて、私の場合ですが、


死刑にはどちらかと言うと反対です。


その理由は『冤罪の可能性』や『犯罪抑止力としての効果』、
そして、『かけがいのない命を殺めることの倫理的問題』も
確かにありますが、

私は、
「死刑にすべき人がわからなくなった」ので死刑には
どちらかと言うと反対なのです。


死刑にすべき人ってあなたでしたらどのような人を思い浮かべますか?


大量虐殺をして罪の意識がなく、更生の見込みがない人が近いでしょうか?


そんな人が死刑をこのように考えているとしたらどうでしょう。

「死刑にしてくれ!それで私に最期のスポットライトがあたるんだ!」
と…。
(自己愛が強く自分勝手な犯罪者が自己完結させようとするケース)

最期の自己表現の場として死刑を選ぶ犯罪者にはむしろ逆に、
生きながらえさせて罪を償うようにしたほうが効果的なのでは
ないでしょうか?

つまり、
おぞましい犯罪はあるものの社会が成熟したのに比例して「死刑にすべき人」がわからなくなり、死刑の意味がなくなってきたから死刑に反対するというのが私の意見なのです。


あなたはどんな意見をお持ちでしょうか?


それでは、また。


P.S.犯罪する以前の心理と死刑確定囚になった時の心理は
違うため、確定囚には「最期のスポットライト」と考え続ける
ことはないのかもしれませんね。  

Posted by 有限会社リニア・コーポレーション at 18:04Comments(0)日記・その他

2008年05月21日

高校への死の準備教育授業

先週、都立の某私立高校へ「死」についての授業をしてきました。


昨年も行っていたお陰で、大成功だったように思います。

「こんなに生徒が真剣でいて楽しく授業を受けたのも珍しいです。」
と評価をいただいき、生徒からの感想も良いものばかりでした。


「死というのは凄く抽象的なもので、疑問を持っていたし、興味も
あったので、今日のお話を聞けて、凄くうれしかったです。死について
考えることは自分の人生を考える上で大切だと思います!!」


「死について新たな考え方ができました。私は今まで一人称の死の
捉え方をしてたんだなと思いました。また、お話を伺いたいです♪」
                    (共に原文のまま抜粋)


死について高校生は高校生なりに真剣に考えているんですよね。

でも、死についての情報量や煩雑さで、思考停止に陥ってしまう…。


それは死に対して『体系化(骨組み)』が自分の中にできていない
からなのだと思います。



私は自己紹介する時に、特別な宗教を信仰していないということを
説明した上で、「宗教学や哲学、医学などの分野以外で死を体系的
にお話しすることができる職業をしています。」と挨拶しました。


「体系的に」とは死の分類や区別を示すだけなのですが、自分に
とってどの分野や区別に過不足があったのかを自分に当てはめる
キッカケを提供することが私の目的だと思っています。



「死とは…」などと私が原理的な答えを押し付けることはしません。


【死の体系化(骨組み作り)を一緒にして、自分に当てはめていく】

ということが死を自分なりに理解する近道なのでは?

と今は思っています。



来月6月8日のセミナーでは「死について」以上のようなテイストで
ご一緒に勉強していきたいと考えています。


日曜日の昼間、お時間がある方はどうぞ参加されてみてください。

(無料です。さらに死の体系化についての図など作成資料を差し上げます)

詳しくはこちら
http://endingplanner-hp.hp1.allin1.jp/1121996855619/  

Posted by 有限会社リニア・コーポレーション at 17:30Comments(8)日記・その他

2008年05月20日

警察はサービス業だと思った…。

先日、初めて「駐車禁止」のステッカーを
フロントガラスに貼られてしまいました。



「やられた…」

「ちくしょ〜警察め!」



と、自分が駐禁という罪をおかしたにも
関わらず、ひとしきり悪態を独りごちたのです(反省)





「いつも警察が僕に何をしてくれているんだ!」



と、考えたところ思いつきませんでした。





そこで、私のサービスビジネスの師匠、ベルテンポの
高萩社長のセミナーで聞いた言葉を思い出したのでした。







「サービスをされたとお客様に思わせないサービスの良さ…」








 警察はサービス業ではありませんが、防犯をサービスと
した場合、警官は上質なサービスを提供しているのでは?と
考えるに至ったのです。



私の車が駐車してあったがために事故や迷惑につながるとしたら
それを防ぐプロとしての仕事があるわけで、警官は地域や街、
そこに住む人々へのサービスをしていると言えます。





「あ、やっぱり僕が悪いや…」

(でもなにもあの時に切符を切らなくても…笑)



と、納得?できたのでした。





警官から直接サービスを受けた覚えがなくても、しっかり
プロの活動をしている警察官。





多少悔しくても学ぶところはあります。

(駐禁代が授業料か?笑)



でも、警察と仲良くなるよりも、コインパーキングと
仲良くなろうと思っています。(笑)


皆さんも駐禁にはご用心を!




それでは、また。  

Posted by 有限会社リニア・コーポレーション at 10:58Comments(0)日記・その他

2008年05月10日

潮干狩りに行ってきました。

先日、船橋へ潮干狩りに行ってきました。

30年ぶりくらいの潮干狩り。

潮干狩りってどうやるんだっけ?何が採れるの?と、ほぼ無知の状態でチケットを買って、現地に向かいました。

イチゴ狩りやさくらんぼ狩りは何を採るかわかるし、すぐ採って食べられるのですが潮干狩りって、アサリをまず探さなければならず、採ってもすぐに食べられないのですよね。

最初は二の足を踏んでいたのですが、柵に囲まれた潮干狩り会場に入ってから、何だかワクワクしてきたのでした。



潮干狩り、なめていました。



ものすご〜く、しょっぱかった…いや(笑)、楽しかったです。


潮干狩り会場の手前の芝生にテントを張って、バーベキューやビールを楽しんでいる大人もたくさんいましたよ。


貝以外にも小さな魚や蟹、ヤドカリがいて、大人も童心に帰っていくかのような喜声?を発していたものです。


自分だけが見つけたアサリのよく採れるポイント(金脈のよう!)では、鼻息を荒くしながら「狩り」をするんです。


「やった!これでアサリの味噌汁以上は採れたぞ!」

「炊き込みご飯とクラムチャウダーも作れそうだ!」

と、二時間くらいで大粒のアサリ1.5キロ分、採ることができました。


潮のにおいと水しぶき、足の裏には砂浜の砂。

五感をフルに使って、宝探しゲームのようなアトラクションをするようなもので、下手にテーマパークへ行くよりお薦めです。


6月までやっていますので、行ってみるのはいかがでしょうか?
http://www.park-funabashi.or.jp/bay/bshio%20.htm  

Posted by 有限会社リニア・コーポレーション at 12:01Comments(0)日記・その他